賢者パタンジャリのヨガスートラ(その1)

今から約2500年前にヨガの根本経典「ヨガスートラ」を編纂したとされる賢者パタンジャリ。彼の誕生、一生は謎めいています。パタンジャリは千の頭を持つ大蛇アナンタの化身だと言われ、アナンタはサンスクリット語で無限、永遠という意味があります。アナンタのとぐろの上で世界の維持者であるヴィシュヌ神は横たわり、瞑想すると言われます。

ある日、アナンタはヴィシュヌ神に、ヨガをシバ神から習いたいと願います。するとヴィシュヌ神はアナンタに人間として生まれ変わり、シバ神にお願いするように言います。パタンジャリの母ゴニカはとても信心深いヨギーニ(女性のヨガ行者)で、太陽神に素晴らしい子供を授けてくださいとお祈りします。そして太陽神に向かって祈るゴニカの手にポトリと小さな蛇が落ちてきます。パタンジャリの「パタ」は蛇、「アンジャリ」は祈りを捧げる手の形を意味し、その小さな蛇こそがアナンタの化身であるパタンジャリなのです。小さな蛇はすぐに人間の男の子に姿を変え、類まれな人物として成長します。

「ヨガスートラ」は196の文節から成り、スートラは「糸」を意味し、それぞれの節は数珠のように繋がっています。ヨガスートラは「ここにヨーガの教義を説く」で始まります。

ヨーガスートラ第1章1節
Atha yoganusasanam (アタ ヨーガヌシャーサナム)
「ここにヨーガの教義を説く」

ヨガというと一般的にエクササイズやストレッチのようなものを思い浮かべる方が多いかと思われますが、ヨガ発祥の地のインドでは解脱の手段、悟りを得る手段と考えられています。ヨガの語源は「yuj」(ユジ、ユジュ)という「馬にくびきをかける」という意味のサンスクリット語で、馬と荷台をつなぎ、その馬車をうまくコントロールすることを意味します。すなわち、ヨガとは心と身体、意識と無意識、自分と宇宙を結びつけ、道から外れないように人生の目的地である解脱、悟りを目指すことなのです。

そしてヨガスートラ第1章2節ではすぐにヨガがなんたるかの解説があります。

ヨーガスートラ第1章2節
Yogah cittavritti nirodhar (ヨガ チッタヴリッティ ニローダ)
「ヨガはチッタ(心素)の動きを止滅する」

ヨガではチッタ(心素)はマナス(意思)、ブッディ(理知)、アハンカーラ(我執)の3つから構成されると考えます。マナスは感覚器官(目、鼻、耳、舌、皮膚)を通して情報を得て、5つの運動器官(手・足・口・排泄器官・生殖器官) を通して反応します。ブッディは得られた情報から知性と理性を働かせて判断を下します。そしてアハンカーラは下された判断に「自分の」、「自分が」という意識を持たせるのです。またチッタはトラウマや潜在意識を含む全ての記憶を蓄積する、所謂倉庫のような役割を持つとも言われています。

ではチッタの動きが止滅するとどうなるのでしょうか?

ヨーガスートラ第1章3節
Tada drastuh svarupe avasthanam(タダー ドラシュトゥ スヴァルーペ アヴァースタナム )
「そのとき、見る者は、本来の状態にとどまることになる 」

この「見る者」とは一体誰なのでしょうか?それはサンスクリット語ではプルシャ、「本来の自分」である「純粋な意識」のことです。「本来の自分」はチッタが生み出す現象をありのままに眺め、決してその現象に巻き込まれることはありません。「本来の自分」が湖の底であるとすると、チッタの動き(ヴリッティ)は波であったり、水の濁りです。波が立ち、水が濁ると湖の底はちゃんと見えません。そしてチッタが映し出した歪んだ像を「本来の自分」と見なしてしまいます。チッタの動きが止滅し、湖が静かで澄んだ状態となって初めて「本来の自分」が見えるのです。私達はただの身体でも、ただのチッタ(心素)だけの存在でもなく、「純粋な意識」そのものなのです。

ヨーガスートラ第1章4節
Vrtti sarupyam itaratra(ヴリッティ サールーピャム イタラトラ)
「それ以外の時は、見る者はチッタの動きに同化している」

感覚器官が受ける外界からの刺激、記憶、幻想等のチッタが生み出す様々な現象を、「見る者」は「自分」と誤って同一視してしまいます。チッタが生み出す現象・世界は、スクリーンに映し出される映画に例えると分かりやすいでしょう。「見る者」は本来映画の鑑賞者なのですが、映画に夢中になり過ぎて、あたかも映画の登場人物の一人であるかのように思い込んでしまいます。映画が終われば映画の鑑賞者であった「本来の自分」に戻ることになるわけですが、チッタの動きは休むことがありません。チッタはスクリーンに映画を映し続け、「見る者」は映画を観続けているのです。ヨガによりチッタの動きを止滅させれば、スクリーンに映画が映し出されなくなります。「見る者」は自分が映画の鑑賞者だったことを思い出します。ヨガとは「純粋な意識」である「本来の自分」を思い出すことなのです。

中川 陽子

賢者パタンジャリのヨガスートラ(その2)
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